HSPという人生

HSPという気質(仮)で成り立つ日常とそこから派生するあれこれを書きながら、人生やり直したいなというブログ。

擬態

社会に馴染むとはどういうことなのか?

心と違うことを言う。
真意ではない相槌。
おせじ。

ワントーン上げて「○○ちゃん優しい~」と言うのも言われるのも、吐きそう。

何もかもすべて、そのたびに心が死んでいくから。

この間と違うことを言ってるとか、陰では悪口言ったり面白がったりしてるくせにと思いながら、耳障りの良いことを言われては、お礼を言って笑顔を浮かべる。

うんざりだった。
うんざりと思う自分の心が汚いのか。

真実だけが正しいとは限らない。
でも、嫌なものは嫌だ。

そんなことではやっていけないのだと、訳知り顔で言う人に問いたい。

心が死んで、食べて仕事に行って会社のためにと頑張って消耗するだけ消耗して、排泄して、寝て、また繰り返す。心が死んでいながら、どこへたどり着くために生きているというのか。

とはいえ、生活のために収入を得なければ。
でもじゃあ、生きなければその必要はないわけで。
極論、どうでもよくなる瞬間が多く訪れることになる。

それでも、地震で揺れたら安全なところに逃げなければと思うし、台風が来るなら備えなければとニュースで進路や大きさをチェックするし、ミサイルのアラートが鳴れば死ぬまでに何かを残したいと強く思う。だから本当は死にたいわけではないとわかっている。

いままでは、生きるためにその場その場で色を変えて溶け込む努力をしてきたけど、テレビで災害や政治的なニュースが報じられるたび、自分の擬態がむなしくて悲しくてばかばかしいものだとしか思えなくなってしまった。

馴染むためだけの人生に意味があるのか。退職してからずっと問い続けている。