HSPという人生

HSPという気質(仮)で成り立つ日常とそこから派生するあれこれを書きながら、人生やり直したいなというブログ。

避ける

とある温泉施設で、お昼を食べたときのこと。

まあまあ広い食堂だけど、お昼時間を少し過ぎていたので閑散としていた。6組程度のお客さんがいただろうか。

席はけっこう空いている。
奥の方に座った。
少し離れた席で電話をしている女性客が少し気になった。
でも、少し気になるという程度だったので、大声ではなかったと思う。

それが、食事が運ばれてくるころになって、女性客の声が大きくなり始めた。会話の内容を聞くつもりはなかったので覚えていないが、ねばついた気配のする愚痴のような話。

電話はちっとも終わらない。

食事を食べ始めたけど気になって味がわからないし、その女性の感情が自分のほうに流れてくる気がして、気持ち悪くすらなってきていた。

いままでなら、早く食べ終わって席を立ち、温泉に浸かるという手段をとっていただろう。たぶん。

今回は、気持ち悪いと感じたあたりで、店員さんに申し出てみた。

お行儀悪いけど席を変更したい、と。

快く許可していただいて、だいぶ離れた席で食事ができた。声は少し聞こえるけど、音がするなというくらい。気持ち悪さは消えた。

行儀的には×だと思う。
混雑していたら、我慢して食べきるしかない。

でも…HSPである自覚。

気持ち悪いと思ったまま居続けたら、帰るまでずっと気持ち悪かったかもしれないし、帰っても次の日も気持ち悪かったかもしれない。

行動できた自分を誉めてみた。

少し前までの自分とは違うことができたし、気持ち悪いという感覚をしっかりと認識した。

よくできた。

どうしても回避できないときはあると思う。
でも、できる限り、自分の心を守る行動をとりたい。

ただ、驚いたのは、すぐ近くで食べている2組くらいの人たちが、ゆっくり食事を続けていたこと。不快には思っていたのかもしれないけれど。

わたしは、店から出たいと思うほどだったのに。

感じ方は、やはり人それぞれなんだな…という話。

揺れる

動揺することが多かった。

心が揺れては自分を見失って、落ち込んでいた。

揺れない人になりたいと、いつも思っていた。

ずっと思っていた。

強い人になりたい。ぶれない人になりたい。

まっすぐに進みたい。

でも、どれほど強く願っても、揺れるものは揺れるのだ。

それが私で、きっとそれでいい。

この揺らぎとともに生きていく。

後日談

昨日は不安もあったけど、我の強い妹と長時間の外出をしてみた。

結論は、意外と大丈夫だった。
前は、何度も妹の言葉に不快感を抱きイラついては我慢をしたのに。

それが、ほとんどなかった。

身内だから、言いたいことを頑張ったら言えたのだと言えなくもない。

他人だったら、また我慢するのかもしれない。

それはまた次の話になるけれど。

でも、昨日に関しては大丈夫だった。

変わるのは他人ではない、自分。
それを強く実感した昨日。

家族

家族というのもなかなかに厄介で、困難。

一緒に暮らしていればわかりあえるものでもない。

歩み寄る機会を逃したまま、父は亡くなった。生きていたら、あの確執を時間が解決してくれたのだろうか?

母とは、距離をはかっている最中だ。いま、ちょうど良い「間合い」を探っている。

目下の問題は妹。
彼女は口が達者で非常に我が強い。どこかの営業に推薦したいくらい。

人の感情に押しつぶされる自分とは相反する人種で、できれば避けて通りたい強引さだ。

いままでは、言いたくても言葉を飲み込んで、やりたければ好きなようにすればいい、言いたいこと言えばいい、仕事の愚痴も好きなだけ言えばいい、わたしの話は聞いてくれなくても…と、あきらめる人生だったけど、彼女との関係にもちょうど良い「間合い」があるのかもしれない。

明日、久しぶりに会う。
こわいような楽しみなような複雑な気分。

取り戻した曖昧な私の輪郭は保てるだろうか。

過去から現在

耳をふさぎたくなる。
目をきつくつむって、しゃがみこんで丸くなりたい。

雑踏の中で。
学校の渡り廊下の途中で。
会社の休憩室で。
同じ景色を走る車中で。
一人の部屋で。
ささやき声。
「わたし必要なのかな」

自分よりもっとずっと優秀な人たちが世界中にあふれてる。
いつでも今いる場所を追われる覚悟をしてる日常。

偶然そこに居るだけで、ただそれだけなのに、わかっているけどしがみついて、口と声だけでひきつり笑い。おおげさに同調してうなずくの。

うまくできてるかな。

いつも心はむなしい。
はぶかれることの恐怖。密やかにおびえる日々。

これでいいのか?と立ち止まれば置いていかれる。

明確な個人も儚い個人も許されない社会。
弱い心は踏まれ、声も出せずに潰される。
善も悪も強いほうへとなびくから、正しくない正しさでさえ受け入れる。
すべては傾いた世界のなすがまま。
滑り落ちていくのだ。

あらがいたい。
と、つぶやいてみる。

恋愛と結婚

わたしに恋愛や結婚は無理だと思う。

独り身なのは、理想が高いからではないかと昔はだいぶ言われたけれど。

理想なんて、挙げればキリがないのは誰でも同じではないかな。言わないだけで。
一番譲れない条件だけは合致して、付き合えたり結婚できたりしてるんじゃないかな。
あとは妥協とか。そういうのを耳にするときがある。ただ、ささいなことから発生するマウンティングを避けるためなのか、女性は自分や自分の周辺を卑下して語る傾向があると思っているので、妥協が本心なのかわからない。

理想はともかくも、大げさに言えば、わたしはいつも身近な人の言動の奴隷になってきた。
好意がある家族である友人である同僚であるなど関係性は様々で、度合いも色々。自分でも知らないうちに、相手の言動に左右され、無意識に従い、感情を同期してきた。

これをコントロールできないなら、恋愛も結婚もわたしのためにはならない。相手のためにもならない。

どうして彼氏がいないのと安易に聞いてくる人に言ってもわからないだろうから、「縁がなくて」と、散々使い古された言葉を吐き出す。

自分という人間の輪郭を保ったまま、人と深くつきあえるのか?まだわからない。

わからないけれど、無職であるいまこの休養期間が、他人と接する中で溶けてなくなった自分の輪郭を取り戻す時間になるのだと信じたい。

わたしは人と繋がれない人間だった。退職した会社の人の連絡先は知っていても、やっぱり繋がってはいない。親しくなれる人たちが羨ましかった。できない自分を責めていた。

HSPであること。
病気ではないけれど、一生抱えていく気質だということ。

これからは、深呼吸して冷静に自分の輪郭を確かめて、それから人に近づこう。相手の感情と混ざって自分を見失わないために。

これはわたしではない。ではわたしはどこに?ずっと昔から繰り返してきた。その答えを、いま知ろうとしている。

擬態

社会に馴染むとはどういうことなのか?

心と違うことを言う。
真意ではない相槌。
おせじ。

ワントーン上げて「○○ちゃん優しい~」と言うのも言われるのも、吐きそう。

何もかもすべて、そのたびに心が死んでいくから。

この間と違うことを言ってるとか、陰では悪口言ったり面白がったりしてるくせにと思いながら、耳障りの良いことを言われては、お礼を言って笑顔を浮かべる。

うんざりだった。
うんざりと思う自分の心が汚いのか。

真実だけが正しいとは限らない。
でも、嫌なものは嫌だ。

そんなことではやっていけないのだと、訳知り顔で言う人に問いたい。

心が死んで、食べて仕事に行って会社のためにと頑張って消耗するだけ消耗して、排泄して、寝て、また繰り返す。心が死んでいながら、どこへたどり着くために生きているというのか。

とはいえ、生活のために収入を得なければ。
でもじゃあ、生きなければその必要はないわけで。
極論、どうでもよくなる瞬間が多く訪れることになる。

それでも、地震で揺れたら安全なところに逃げなければと思うし、台風が来るなら備えなければとニュースで進路や大きさをチェックするし、ミサイルのアラートが鳴れば死ぬまでに何かを残したいと強く思う。だから本当は死にたいわけではないとわかっている。

いままでは、生きるためにその場その場で色を変えて溶け込む努力をしてきたけど、テレビで災害や政治的なニュースが報じられるたび、自分の擬態がむなしくて悲しくてばかばかしいものだとしか思えなくなってしまった。

馴染むためだけの人生に意味があるのか。退職してからずっと問い続けている。